「頭が良い、と言われるのが嫌」

継続セッションを受けてくださっているTさんのご感想です^^
(掲載の許可をいただいております)
 


「今回のテーマは何でしたか?」

今日のセッションでは、
主人の私に対する学歴の劣等感から起こると思われる、
家事に対する非難の話から入って、
「頭がいい」と言われることに対する
わたしの負の感情を解放する取り組みをしました。

「セッションを受けて、気づいた事や、感じた事があればご記入下さい」

中学時代のわたしにアプローチ。

わたしは勉強ができるかも知れないけど、
友人たちのように面白い話を人に聞かせて笑わせるとか、
話したい人と話すことができなかったので、
コミュニケーション上手な友人たちがうらやましかったことを思い出した。

大人のわたしは、その気持ちを友人に伝えればいいのにと思った。

その場面でのアプローチができなかったので、
自宅の勉強机で座っているわたしにアプローチ。

苦しみと空虚なきもちがあった。

ちえさんの提案により、わたしの代わりを父にプレゼントしてもらったテディベアにしてもらう。

詳しくは述べないが、父に対する皮肉を込めている。

中学生のわたしは解放されたので、
自分を存在しなかったことにしたいと願い、消えようとした。

(消えたかったことは、当時のわたしが別の問題もからめて実際、
切実に願っていたことだ)

なぜそう願ったのか。

それは、わたしが、父の勉学に対する期待にも応えられず、
母の介護や生活全般に対する辛さから救うこともできない自分に
価値を見いだせなかったからだった。

(それは初めて知った)

大人のわたしは、あのころの出来事を思うとき、
当時のわたしが、とても自己中心的な人間だと片付けていたのだが、

中学生のわたしは、精一杯頑張っていて、
両親の役に立ちたいと心から願っていたことを、
すっかりなかったことにしていた。

あまりにも純粋で健気な自身の気持ちに驚くとともに、
一番大事にしてあげたかったその想いをなかったことにしていたことが、
可哀想でしかたがなく、中学生の自分に申し訳ないと感じた。

謝って、大人のわたしがずっと側にいるから大丈夫、と約束をして、
わたしがいちばんしてほしかったこと、
頭をなでてもらうこと、を母の代わりに大人のわたしがした。

中学生のわたしは、
母はとても大変な思いをしているので、
自分のことで母の手を煩わせることを望まなかった。

セッションはここで一旦終了。
意識を顕在意識に戻すのがちょっと大変だった。

セッションで知ることのできた本来のわたしを軸に、
今後のことを決めてゆきたい。

それにしても、子供の親に対する純粋さとひたむきさ、愛情は、
大人からは計り知れなく深く強く気高くさえある。

ただ驚くのみ。

わたしの子供たちもそうなのだ、と思う。


Tさん、ありがとうございます。

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