「どうしてセラピストになったんですか?」その2

「どうしてセラピストになったんですか?その1」の続きです。

私の人生がシフトチェンジするキッカケになった
「激痛の腰痛」について語ろうと思うのですが、
その前に私の性格とかについて少し。

【我慢する事だけが処世術だった頃】

皆さんは、子供の頃、どんな風でした?
子供らしい子供でしたか?

私はあんまりそうじゃなかった気がします。

勿論周りの大人から見たら、
子供らしい部分も当然あったと思いますが、

本人の「自覚症状」としてはのびのびしてなかった感じ。

安心して誰かに甘えたりとか、我儘を言ったりを、
ほとんどした事がありませんでした。

ずっと、自分の意見が人とぶつかるとか、反対意見を言う事とか、
人からの提案や誘いを拒絶する事が、

苦手で、苦痛で、出来ませんでした。

しかも、相手がちょっと強引だったり気が強かったりすると、
もう、絶対にNoと言えませんでした。
(今思えば、自分が勝手に我慢して勝手に怒りを溜めていたんですがね…)

物心ついた時から、
ずっと「良い子」「我慢強い子」で生きてきたからです。

自分の意見というモノがありませんでした。
ここで周りが平和を保つために自分はどうするか?という視点のみ。
ワガママが言えない子供だったのも多分そういう事です。

思い返せば、幼少期も、思春期も、大人になってからも、
親に反抗した事も、子供らしい我儘を言った事も、
あまりなかったと思います。

ていうか、きっとね、
何回かちょいちょいワガママを言ってみたりはしてたと思うんですが、
ワガママは勿論却下されて、結果、全く言えなくなった、
という感じでしょうか。

うちの親が特別厳しかったとは思いません。

ごく普通の両親で、それなりの愛情を持って育ててくれたと思います。

私が無駄に敏感な子供だっただけです。笑)

本当は反抗したい時も、我儘を言いたい時もありましたが、
言えなくて、我慢していただけです。

文句を言わずに我慢する事だけが私の処世術でした。
しかも、途中からはもう我慢している事にさえ無自覚でした。

鮮やかなコスモスと都会

そうするとどうなるのか?

私の場合は、盛大な腰痛になってました。笑

振り返れば、人生の節目節目に、腰痛で歩けなくなってました。

「中学時代の腰痛」
・可愛がってくれていた祖母の死

・高校受験のストレス
(阪神・淡路大震災があった年に中3になりました)

・母親の乳癌による手術&入院
&家事育児(当時末妹3歳)負担増大のストレス、

「高校時代の腰痛」
・大学受験のストレス

「社会人時代の腰痛」
・でっかいクレーム2つ抱えたストレス
・3.11の震災後の各種ストレス
(私は千葉県民なので家族もろとも無事でしたが、
ガソリンが入れられなくて仕事が出来ないストレスとか、
姪っ子が乳児だったので
ミルク用の水が手に入らない?という不安が一時期ありました)

あぁーー、
あの頃、EFTやマトリックスを知っていたら、出来た事が沢山あったなぁ、
と思います。

青のタッピング画像♪~~♪

(↑ストレスを感じたら、身体のこの部分をトントンとタッピングしましょう!!
まぁ、その時タッピングできなくても、
時間が経ってからでもちゃんと癒せます。
私自身、過去を少しずつ癒してますよ。)

ようするに、
ココロを無視していると、
どうやっても無視出来ないように、身体が訴えてくるんだよね。

ほんと、身体って良く出来てるよね。

で。社会人時代の腰痛の時に、
ある本(サーノ博士のヒーリングバックペイン)に出会って衝撃を受ける話は、

ああ・・・・・長くなったので、続いちゃいます。笑

「どうしてセラピストになったんですか?」その3
腰痛が教えてくれた事…

「どうしてセラピストになったんですか?」その4
なんでこの「カウンセラーになりたい願望」が出てきたのかは本人にも謎…

「どうしてセラピストになったんですか?」その5
最終話。

「どうしてセラピストになったんですか?」その2」への3件のフィードバック

  1. ピンバック: 「どうしてセラピストになったんですか?」その1 | Love your truth  自分への愛

  2. ピンバック: 「どうしてセラピストになったんですか?」その4 | Love your truth  自分への愛

  3. ピンバック: 「どうしてセラピストになったんですか?」その3 | Love your truth  自分への愛

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