「怒り」にも存在理由がある

優しい光がおりる場所(バラ)

この肉体という芸術の世界で、
何があったとしても
最初からぜんぶ丸ごと
包まれている。

人が出会い
新しい命が生まれることも

生命のかがやきを放つ肉体が
育つことも
傷つくことも
失われる可能性も

ドラマティックな衝突も
ありとあらゆる
暗闇
痛み
悲劇
哀愁
幸福
快楽

もちろん
死ぬ事も含めて

最初から無かったかのように
忘れられてゆく事も含めて。

目に入らない
ありとあらゆる存在も

私は悲しい時に
すぐに笑わせて欲しくない。

悲しい私の
悲しみの理由を聞いてあげたい。

そこにある悲しさに気づきたい。
思う存分泣かせてあげたい。

私は怒りがある時
すぐに手放したくなんかない。

怒りを握りしめている
小さな私に
『どうして怒ったままでいるの?』
と聞いたら
『これが私の誇りを守るやり方だから』
と彼女は答えた。

【怒り】という表現は

「私は私の気持ちを
ぞんざいに扱われた事を許さない」
と言っていた。

「私は無視されて良い存在ではない」
と、私自身に言い聞かせていた。

「私には私の意思がある」
と、世界に訴えていた。

「私は私を大事に扱う事を望んでいる」
「私は愛される事を諦めていない」

それは、愛を諦めていない
けなげな強さだった。

【怒り】の表面だけを見て
否定する必要なんて無かった。

【痛み】まで含めて
全てが愛で出来ている事。

愛は暗闇も内包している事。

怒って良かった
悲しんで良かった
ドロドロの真っ黒な絶望すら
その存在を許されている場があるんだよ。

愛は 「痛みを悪い物として排除する」なんて
なぜ 君は信じてしまったの?

幸福とは 「死なないことだ」なんて
「死ぬ事は可哀想だ」なんて…
なぜ 私は無意識に信じていたんだろう?

RFT2017東京セミナー

RFTセミナー風景

先週末、都内にて佐藤純子さんによる、RFTのプラクティショナー講習会がありました。

RFT・・・Resistant Freedom Therapy 抵抗を解放するセラピー です。

自分を癒す旅の中で、勿論癒したいから癒しているのですが
それでも、『抵抗』が出てくる場面があります。

変わりたいけど、本当はまだ変わりたくない。
癒したいけど、本音では、腹の底からは、まだ癒したくない、という抵抗。

それはある意味、傷が深ければ当然の反応なのですよね。
RFTは、この時の「抵抗」を解放するセラピーです。
 
個人セッションで頻繁に使わせていただいてます。
 
優しく、本質的な、パワフルなセラピーです。
本当にありがたいです^^ 
 

このRFT2日目のセルフワークの時間
アシスタントの私もセルフワークしてました。

トントン・・・
 
どんなビリーフに取り組んでいたか?というと
『私は大した人間じゃない』
(大成しないとか、凄い事は出来ない、
立派な人間じゃない、という意味で)
 

私はこのビリーフが、
自己価値の低い 私 にさせていると思ってたし
 
このビリーフが、
ショボい私 を作り出していると思ってたし
 
とにかく、この
『私は大した人間じゃない』というビリーフは
悪者にしてました。
 
(注:もちろん、それも無意識に自動的に、ですよ?)
 
 
でもこれが私を守っていた。
 
 
『私は大した人間じゃない』
 
そう信じていれば
凄い事が出来なかった時に
何か失敗した時に
私は私にガッカリしなくてすむ
 
私はものすごく
自分にガッカリしたくなかったんです。
 
ずっと一緒に生きていく自分に
ガッカリしたくなかったんです。
 
私は自分がそれだけ大事だったんです。
 
絶対にガッカリしたくない、
それほど大事だったんです。
 
そうやって私の自我は
生き延びて来ていたのでした。
 
自分を縮こまらせている敵だと思っていたものが
誰よりも私の味方だった。
 
最初からずっと
私のことを誰よりも
大事にしてくれていた。
 
 
これだけじゃない。
すべてのビリーフがそうなんです。
 
 
どんな悪者ビリーフにも
どんなネガティヴビリーフにも
あなたを守るミッションがあったんです。 

それを思うと泣けてくる・・・♥
 
 
だから生まれて
だから握りしめて
 
だからこんなにも、信じて来たんだね。
ありがとう^^
 
I love you & me always♥

RFTセミナー後

セミナー終了後の満面の笑みの私たち。
この写真撮ってくれたひらぼん、ありがとう♪